前回の「ビットコインの価値はマイニングにあり!?」の続きです。
BTC Chinaが元での入出金ができなくなった(なる)らしく、そういう意味でリスクプレミアムみたいのが発生してMt.Goxとは1万円以上離れているようですね。
ただ、ボリューム自体はまだまだあるような気はします。どうなんでしょう。ビットコイン自体は外部に持っていけるでしょうし、そのうちBTC Chinaも閑散とする日が来るのでしょうか。
さて、今回中国の規制を発端に最高値の1242ドルから500ドル付近まで暴落しましたが、しかしビットコインではよくあることだったりするようです。
長い目で見るには、ビットコインは対数で見るべき!?
以下、ビットコインの対数チャートです。とりあえず最大スパンの対数チャートです。どうでしょう、こう見ると今回の暴落は大したことがないように感じませんか?
なぜ対数で見るべきか、一つはもともとビットコインは0円から始まっているからです。価格は、相場取引だけで決まっているため、値そのものというより相対的な倍率にしか意味はないのではないでしょうか。
また、BTCという単位も意味がありません。たしかに、1年で掘り出される個数がこのBTCの元にはなっているとは思いますが、掘り出された後それを使う段階ではBTCという単位は相対値でしかないでしょう。ビットコインはコストなしにどんどん分割できてしまいます。(最小単位のSatoshiまでは)
これが例えば円だったら、1銭玉を新たに発行したり、デノミをするなら社会の節々のシステムを切り替える必要があるでしょうから、分割コストはものすごく大きいはずです。
暴落がビットコインの価値を作る!?
さて、先ほどのチャートを見てもわかるようにビットコインは暴落を繰り返しながら膨らんでいっています。暴落を繰り返すことでどんどん知名度増し、また参加者も増えて行っているように感じます。まるで戦闘不能になったサイヤ人が復活した際に戦闘能力が増していく、あんな感じに近かったりするのでしょうか。
Bitcoin 人気アドレスを除外した取引数は、どんどん増えているようです。
ビットコインの価値は、ビットコインを支える巨大なシステムとそこに参加する人々が作り出しているのでしょうか。ある意味では、時価総額はインターネットそのものの値段かもしれませんね。もちろん、株とは違い誰かがこの金額を出したところでビットコインのシステム全てを手中に収めることはできません。ビットコインを使う人それぞれに権利があるのでしょうか。