ビットコインを裏付けるものは、記憶?ユニークさ?人間?自然の摂理? 【雑感】


最近、米国で(?)で話題になっているらしいBitcoin(ビットコイン)ですが、「なぜビットコインは乱高下するのか」を読んで、自分もこのビットコインの対極にあるものは何か考えてみました。

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ビットコインを裏付けるものは暗号なのか?

この記事では、

暗号のようなものは、どのくらい価値があるのだろうか。

と、ビットコインの対極にあるものは暗号としていますが、自分はそう思いません。

暗号というのは、何らかのメッセージ・情報を守るもので、暗号それ自体に大きな価値があるとは思えないからです。

ビットコインを裏付けるものは「記憶」と「ユニークさ」?

では、「暗号で守られているものは何か?」ということになりますが、これはインターネット(P2P)を利用してビットコインの「記憶」と「ユニークさ」が守られているのではないかと思います。(その他希少性等々もあるでしょけど、今回は無視)

ビットコインの取引履歴はインターネットに保存され、ビットコインは常に唯一のビットコイン口座に関連付けられ、そして、ビットコインを複製することも、履歴を削除することもできません。(ここらへんは、WikiPediaとかに書いているとは思いますが、、、)

「記憶」と「ユニークさ」といえば「人間」?

さて、「記憶」と「ユニークさ」という(経済的とは関係ない)言葉を使いましたが、これによく似たものを考えた時、「人間」が思い浮かびました。

人間というのは国家の元に生まれます。国家の元で、ユニークな国民として生まれます。

しかし、これはある意味社会的な考え方ではないでしょうか。中央政府の戸籍という記録にそう書かれているからに過ぎないかもしれません。戸籍がもし消えてしまっても、我々は相変わらずユニークな存在のはずです。

もっと下のレイヤーで考えると、人間はある遺伝子を持った生命体として生まれます。しかし、遺伝子はユニークではありません。一卵性双生児は、同じ遺伝子を持って生まれるからです。

我々が生命体として、ユニークであるものは何なのでしょうか?哲学的な言葉になりますが、自我かもしれません。

自分が自分である、自分が唯一無二な存在であるという認識がユニークさを保障するのではないでしょうか。他人の自我を証明するのは難しいことですが、自分の自我は当たり前なものだと思います。

人間が持つこの自我に裏づけされた「ユニークさ」と人生という「記憶」は、どことなくビットコインに通じるものがあるのではないでしょうか。

ビットコインを裏付けるものは「自然の摂理」?

そして、これら自我や人生といったものは、中央政府の戸籍に載っていることではなく、われわれ個々人が(おそらく脳内に)持っているものです。

もちろんビットコインも中央政府が管理しているものではなく、言い方を変えれば「自然の摂理」が管理しているのではないでしょうか。自然界の法則がビットコインを裏付けています。

演算と複製を元にしたコンピュータとそのネットワーク(インターネット)で、このようなユニークで記憶を持った存在を作れたということは、とてもすごいことではないでしょうか。

これはある意味で、そこらへんにいくらでもある原子や分子から作られている人間が、自我を持つという不思議を裏付ける一例でもあるのかもしれません。

さて、あなたは「自然の摂理」がどのぐらいの価値を持つと考えますか?

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