ビットコインの価値について考えてみる(5) ~ ビットコインは全人類の取引のエピソード記憶!? 【雑感】


ビットコインは最強の流動性!?」の続きです。

ちなみに前に「ビットコインを裏付けるものは、記憶?ユニークさ?人間?自然の摂理?」というのを書きましたが、この時はまだこれについての考えがまとまっていなかったのですが、今少しまとまってきたので書いてみます。

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私個人にとっての通貨とは?

元来通貨というのは何でしょうか?

WikiPediaによれば、

通貨(つうか)とは、流通貨幣の略称で、国家などによって価値を保証された、決済のための価値交換媒体。

と説明されています。しかし、この説明だと主語が国家であるかのような気がします。私個人にとっての意味は何なんでしょうか?

そう考えると、通貨は取引の結果を正確に記録する道具ではないでしょうか。(他にも色々と機能はありますが)

私があなたにいくら支払った、私があなたからいくら貰った、その結果今手元にいくら存在するという事実(記録)になるわけですから。

通貨がなぜ必要?

通貨がなぜ必要かと考えると、それそのものが価値を持つからではないかもしれません。(金本位制の時代はそういうのも兼ねていたとは思いますが)

それよりも人間の記憶能力では取引結果を正確に長期にわたり覚えておくことが困難だからではないでしょうか。

誰かといくら取引した、確かにその時点ではそれは大きな関心ごとですから覚えているでしょう。でも、1日2日と経っていくうちに、どんどんと忘れていきます。いえ、人間はどんどん忘れるようにできてます。

当然、取引結果である残高の記憶もだんだんあいまいになってきます。

また、お金というものがそもそも人間にとっては記憶するのが難しいとも思えます。

我々人間のエピソード記憶は、感情をベースに記憶しているでしょうから、例えば1個のおにぎりでも、お腹が空いた時に食べたおにぎりとお腹一杯の時に食べたおにぎりでは、同じ価格のおにぎりでも記憶へのインパクトが異なります。

つまり、取引の価格≠記憶のインパクトであり、同じ取引価格であったとしても記憶に残るものもあればすぐに忘れてしまうものもあるのです。

※ 現代では、分散的にではありますが、銀行やクレジットカード会社など至るところでコンピュータの力を使って取引履歴を記録しているのはみなさんがご存知の通りかと思います。

ビットコインのブロックチェーンはエピソード記憶に似ている!?

ビットコインのブロックチェーンを知った時、あれは何かに似ていると思ったのですが、その時は人間に似ているという大雑把なものでしたが、もう少し考えてみると人間(知的生命)のエピソード記憶に似ているのではないかと思いました。

人間は日々幾重にも及ぶ並列処理を行いながらそれを1次元的・直列的な記憶として保持します。

ただ、先ほど説明したように、人間の場合どんどん忘れていきます。ですからブロックチェーンがこのか弱き記憶能力の代わりに正確に記憶してくれます。

ビットコインのブロックチェーンは、改竄も難しく長期にわたって正確にしかも全取引を記憶することができます。しかも、一人の記憶ではありません。(インターネットで取引をしている)全人類の記憶を束ねて記憶するのです。

また、分散的なためシステムダウンの心配もほぼありませんし、24時間365日記録し続けます。(暗号の解読技術の正否の方が心配事項なんでしょうか)

もし、インターネットのネットワークを神経回路のネットワークと考えると、インターネットという生命体のエピソード記憶(の一部)がブロックチェーンに相当することになるかもしれません。

世界でも沢山の人々が各地で並列的に取引を行っています。それを一本のブロックチェーンにまとめる、つまるとこそれは全人類の取引のエピソード記憶ではないでしょうか。

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